やはり薩摩の人間として絶対に行っておきたかった場所・・・
寺田屋・・・そして大黒寺です・・・

ほら、丸に十の字の島津の家紋ですよ。

大黒寺というと、幕末当時の薩摩藩の祈祷所として使われていたそうですが、
このお寺に寺田屋騒動で命を落とした薩摩藩の有馬新七他8名のお墓があります。

志半ばで、明治維新を迎えることなく命を落とした多くの人たち・・・
墓前で手を合わせながら、維新に向けて命の炎を燃やした郷土の先輩達の熱い思いと無念さが感じられた気がして・・・
複雑な思いがしました・・・
そして、このお寺にはもう一人薩摩の大先輩のお墓がありました。
名前は平田靭負(ゆきえ)・・・

何をした人かというと・・・宝暦治水工事を指揮した薩摩藩の家老です。
ある意味幕府の嫌がらせというか、薩摩藩の力を落とそうという思いからの普請事業でした。
幕府からの嫌がらせはそうとうなものだったということですけどね・・・
しかし、この家老・・・工事に莫大な費用がかかったことの責任をとって事業完成を藩に報告した後、切腹してるんですよね・・・
本当のお墓は三重県の海蔵寺にあるそうで、こちらには平田靭負ほか、工事で亡くなった20数名のお墓があるそうです・・・
それからこのお寺では西郷と大久保が会談を持ったというお部屋も残っているそうですね・・・
大黒寺を後にして、向ったのは一番の目的の寺田屋。
ちょうど10分くらい歩いたでしょうかねえ・・・
寺田屋のすぐ側には黄桜酒造のビール工場?がありましたね。

さすが、京都・・・景観を崩すことなく、古い感じで風情を感じました(^^)
そして、寺田屋・・・

時間が早かったせいで中には入れなかったんですが・・・
寺田屋騒動の・・・怒号と奇声・・・階段を駆け上がる足音・・・なんだか聞こえてきそうな・・・
ホント・・・大黒寺といい、寺田屋といい・・・何とも言えない複雑な思いが駆け巡りました・・・
そうそう・・・
この近くには油掛地蔵というのがあって、そこに芭蕉が詠んだという句が残されてました。

それから、路面電車発祥の地の碑も・・・

路面電車って・・・京都が発祥だったんですね~・・・知りませんでした(^^;
今回・・・オフ会に参加できたのはとても楽しかったんですが・・・
オイラにとってはこの大黒寺と寺田屋に行けたのはホントによかったです!
ってことで・・・その3につづく~~~!
次回は行きます。
お寺の島津家の家紋の写真に、ちょっと震えが(笑)
あ、私は京都市内にあった島津製作所のマークをバスの中から見ただけでも盛り上がってました・・・(笑)
ここがあの事件の舞台だったのか~と思うと…
感無量ですね。
でも、歴史を感じましたね~
やっぱ幕末萌えとしては行っとかないと(^^;
そして、大黒寺でのお墓・・・こういう人たちの爆発的なエネルギーがあって今があるんですよね~・・・
一人でしばらく呆然と立ちつくしてしまいました